人気ブログランキング |



by chihiro_1984_20xx

プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

ライフログ


決定版 ほんとうにわかる管理会計&戦略会計

カテゴリ

全体
映像(映画、TV番組)
芸術(舞台・絵画など)
読書
音楽
旅(散歩含む)
詩・言葉
バトン
真面目なこと(勉強、刑事関連)
真面目なこと(その他)
悟ったこと(気持ち・覚悟)
今日のできごと
就職活動
ごはん
ウエディング
写真と徒然

以前の記事

2010年 01月
2009年 06月
2009年 05月
more...

ブログパーツ

コンテンツ&リンク

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

13th death anniversary

親友の死から早いもので、もう、13年です。

毎年この時期の前後は、
年間を通して最も気が塞ぐ時期で、

この日を忘れていた年は、
この体調の悪さで命日を思い出し、

この日を覚えている年は、
体調の悪さに取り憑かれてることを自覚しながら
日々をやり過ごしています。

今年は後者だったようです。

いろいろな体調の不良も重なって、
前回も日記で言ったように、
連日、悪夢と貧血で目が覚めて早朝に一人号泣したりと、
例年以上にストレスがかかっていたようです。


私は未だに、
彼女が死んだ病名をハッキリしっているわけでもないし、
お墓にも行っていません。
彼女の家にも、もう久しく行っていません。


二年生の二学期に転校してきた彼女に、お調子者の私は、
休み時間が始まると一番に話しかけたのでした。
それから、一番の友達になって。

いつも席は隣同士、
学校から帰ってもお互いの家に遊びに行く、
習い事にも一緒に行く。
かなりの時間を一緒にすごしていたように思います。

背格好も似ていたから、
後姿では、ほかの人はどっちがどっちかわからなかった、
なんてこともありました。

そうして、喧嘩したり、はしゃいだりしながらも、
平和に過ごした4年の夏。
8月28日のあの日に、別れは訪れていたのでした。

彼女と私はスイミングスクールに行く約束をしていました。
いつものように彼女の家に行って、
すこし遊んでから、プールに行く予定にしていた私たち。

いつも本当に我侭なんて言わなかった彼女から、
「頭が痛いからプールにいきたくない」
って言葉が出てきたのでした。

熱を測ったら、6度8分か7分ぐらいで、平熱。
このまま一人で行きたくないと思った私は、
その子のお母さんの「駄々こねずに行きなさい」って言葉を
そのまま鵜呑みにして、彼女をプールに促してしまった。

夕方、互いの家に向かう分かれ道のところで、
「バイバイ、次は学校でね」
と手を振り合い、別れたのが、彼女との最期でした。


その晩、彼女は倒れ、救急車で病院に運ばれ、
手術を行ったものの秋まで昏睡状態が続き、
13年前の今日、この世を去ったのでした。

その後の記憶は、残念ながらもう私には余り残っていません。
ひどく曖昧で、断片的です。

先生からの電話を取ったのは私でした。
確か、いつも通りの日曜日の夜。夕食の前か後。
いつも通りにテレビを見ながら、
いつも通りにくつろいでいた先に、かかってきた電話でした。
いつも通りに出た私に、
おそらく、
児童が先に出てくるなんて思っていなかったのでしょう、
電話口で「Mちゃんが死んじゃった」と、
先生は泣き崩れたのでした。
その、悲痛な声は、今も耳にこびりついて離れません。

あとは、お葬式。
私は弔辞を読むことになっていました。
書き上げた弔辞を淡々と読み、
私は、すがりつくように泣いてお礼を言ってくれた
彼女のご両親に、
なんと 笑み を返し、席まで戻ったのでした。

そのときの私には、悲しいなんて、わかんなくって、
死ぬってことがなんなのかわからなかった。
曾祖母が一年生のときに亡くなっていたけれど、
それだって、ただ「儀式」を経験したに過ぎなかった。

でも、その中で、ただひとつだけ思っていたのは、
「一番の友だちだった私」以外に、
「最期に彼女にしてあげられること」を
獲られるのだけは嫌だってことだった。

先生の指名で弔辞を読むことになり、
作文を書き、
恙無く読んだ。

それだけで、私は「いっぱい」だったんです。
そして、私は最期の仕事を終え、「笑った」。

それでも私は、
多くの人と「死」に対して、罪を犯したと思います。


喪失と罪悪感からくる苦しみは、あとからやってきました。
大きな円形脱毛症になって、精神安定剤を処方され、
小学校高学年には、早々に思春期到来して、
友達関係を作る方法がまったくわかんなくなって、
いつのまにか、四面楚歌。
とりあえず、
このままこのメンバーで公立中学校に上がってやるもんか
という気持ちひとつで、私立中学校を受験したのでした。

小学生だったからか、思春期を越えていないからか。
それはわからないけれど、
死の概念を身をもって知ることができなかった私にとっては、
悲しみや、喪失感は直接は、言語化されることなく、
しかも自覚もされずに、
行動や、体にストレスとなって現れてきていたようです。

ストレスを押し込めながら、走り続けること13年。
何度も、「死にたい」なんて思うこともありながら、
いつも、彼女の存在と、
そのときに周囲にいてくれる人たちの暖かさに救われて
ここまできたのでした。


「あの時感じたであろう」悲しみや喪失感なんてものは、
未来に向かって消えるなんてことはありません。

思い出せば、
そのときの感覚はまざまざと傷跡となって流れ出てくる。
心の傷っていうのは、そういうものなのだと思います。


13年経って、
もう悲しみに支配される日はそう多くはなくなりました。
こんな悲しい別れで終わるとわかっていても、
彼女と出会えたことを大事にしたい。
そう思えるぐらいに今はなりました。
たとえ二度と会えなくても、
この13年間に彼女からもらったものだって、
計り知れないほど多いと思うから。

私は、今周りにいる人たちを大切にしなきゃならないし、
感謝して、彼女の分まで生きて、何が何でも生きて、
そうして死んで、彼女にあいたい。

まとまってないけれど、
今年は、二週目の年を迎えて、
気持ち新たに、彼女と向き合っていこうと思ったので、
書いてみました。
by chihiro_1984_20xx | 2006-10-24 16:48 | 悟ったこと(気持ち・覚悟)