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by chihiro_1984_20xx
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BS世界のドキュメンタリー「夫には7秒の記憶しかない~イギリス・元指揮者と妻の20年」
さて、更新します。もりもり更新します。
相変わらず不眠気味、ちひろです。おほほ。
現在、
「キャッツ」
なんぞをイヤホンで
大音量
で聞いております。
うっかりイギリス・バージョンなんぞを借りてしまっていたようで、
猫達が英語喋ってます。
ぎゃん。
ジェリクルキャッツを知っているのか?
この一言を聞いただけで笑える。
そう、それは中学校の頃の思い出のメモリー。内容は語らないけれども。
(中学の課外学習かなんかでキャッツを見に行きましたねぇ)
さて、読書記録のみのつもりが、
ふと目にした番組が余りに衝撃的だったので書き残します。
イギリスで放映されたドキュメンタリーです。
おお、なんと言う因果(今聞いているのもイギリスバージョンだ)。
内容は、上記の通り。
元指揮者のクリーブ氏と、その妻の姿が淡々と描かれています。
脳の記憶を司る海馬組織が脳炎で冒され、7秒以上の記憶を保持できないクリーブ氏。
妻のことを妻とは認識していても、彼女とどのような経緯で結婚したのか、
むしろついさっきこの部屋に入ってきたのか、
もう何日もここにいてくれているのかすらもわからない。
7秒経てば、7秒前に話した事を、会った人のことを忘れてしまう脳になってしまった氏。
彼は、つい数分前まで共に喋っていた妹が去ったとたん、
彼女とは長いこと会っていないと言い、
会う人会う人ごとに、「私が病気になって以来、あなたは私が会う初めての人だ」と語る。
机の上に置かれた、開かれたノートには、同じ語句が書き付けられる。
○月○日○時○分「今、目が覚めた」
○月○日○時△分「今、本当に目が覚めた」
○月○日○時□分「今、本当に本当に目が覚めたんだ。前のは間違えだ!」
・・・・
このような日々を、氏は20年続けているのでした。
そして、妻も。
氏は取材者から何度もかけられる「今、どのようなお気分ですか?」という質問に、
何度も同じ答えを返します。もちろん、初めて聞いた質問であると氏は認識して。
「気分も何もないよ。私には過去も未来もないのだし。何をしても、何を考えても、忘れてしまう。ならばそれは死と同じだよ。死の中にある人間は、何もできないだろう。何も考えることもないだろう。なにも変わらないだろう。私は死んでいるも同じなのだよ」
20年間、この世にありながら、
死の中にいる氏の世界というものは、いったいどのような世界なのでしょうか。
この世の中は、全てエントロピーの蓄積という方法で進んでいるはずだというのに、
氏は一人、忘却という方法で、止まっているのです。
7秒で死に、7秒で生まれる。その度に毎回世界と出会わなくてはならないんです。
全く、想像を絶する状況だと思わずにはいられませんでした。
そして、それに付き添い続ける妻。
彼女は一度、氏から離れたにもかかわらず、
また彼の元に戻り、献身的な介護をしています。
彼女があるとき、
「私達は、いつ、どこで、なにをしなくてはならない、といったような世界から
最も遠いところに生きているわ」
と、ぽつりともらした姿が、非常に印象的でした。
生き続ける「死」とう存在のクリーブ氏。
氏を知ることによって、
人間はいかに多くの時間の積み重ねによって
「生きる」というものを体感しているのかということを感じずにはいられませんでした。
「記憶」こそが、個人が自らのアイデンティティを特定するためのものなのかもしれない。
ぼんやりと、そのように感じたのでした。
生きているということは、本当に稀有なことなんですね。
さて、
ドキュメンタリーという番組は、
非常に作るのが難しいものなのではないかと、何となく感じています。
事実を「編集」した一つの完結した「作品」であるために、
作り手の方針によって、受け手がどのように感じるかをいかようにも操作することができる(注)。
だからこそ、受け手は受けた情報をただ鵜呑みにするのではなく、
事実と、発信者の意図をふるいにかけてそれぞれ理解し、
自分自身の意見と比較検討する必要があると思います。
今日見たこの番組は、
非常にその点で「丁寧に作られている」といったとても良い印象でした。
インタビューの場面などでは、
よくNGをカットしたり、質問者の言葉を排したりすることがあります。
しかし、この番組は、一度質問の回答を拒否した妻が、
考えを改めて、質問回答をしようとした「間」もカットせずに残してありました。
例えば、これが氏であれば、もはや質問を受けたことすら、
拒否したことすらも忘れることができた間だったことでしょう。
しかし、妻にとっての間は、やはり質問に答えようと考え直して戻ってくるための間だった。
時間の保持の仕方、記憶の保持の仕方の違いが象徴的に現れている表現として、
非常に細かく、また、丁寧な編集作業であると感じました。
(注)これは、佐世保事件後に寄せられた、ジャーナリスト・坂上香さんの報道に関する意見から学びました。しかし、他にも多くの識者から同様の指摘はされていると思います。法学セミナー587号
流し見していたせいもあるのですが、難しいことはあまり考えれはしません。
しかし、この番組は、「生きるということは一体自分にとってどういうことなのか?」ということを
思わず考えてしまう力がありました。
もし、あなたが7秒しか記憶を保持できないとしたら。
もし、あなたの愛する人が何度も何度も記憶をなくす障害を負ってしまったら、
どうしますか?
それについて、どのように考えますか?
一体、「生きる」とはなんでしょう?
「愛する」とは何でしょう?
シンプルなことなんだけど、非常に深いことだと思います。
最後は、氏のピアノを弾く姿で番組は終わりました。
楽譜は目で「今」を追ってゆけばいいものです。
音楽は常に「流れる」もので、「時」ともしかしたら同義語の存在なのかもしれません。
「今」しか生きれない氏は、朝も昼もない「今」に、
一体いつまで留まらなくてはならないのでしょうか?
暗闇から開放される日が、いつかくるのでしょうか?
なんとなく、悲しく、暗澹とした気持ちになったのでした。
相変わらず不眠気味、ちひろです。おほほ。
現在、
「キャッツ」
なんぞをイヤホンで
大音量
で聞いております。
うっかりイギリス・バージョンなんぞを借りてしまっていたようで、
猫達が英語喋ってます。
ぎゃん。
ジェリクルキャッツを知っているのか?
この一言を聞いただけで笑える。
そう、それは中学校の頃の思い出のメモリー。内容は語らないけれども。
(中学の課外学習かなんかでキャッツを見に行きましたねぇ)
さて、読書記録のみのつもりが、
ふと目にした番組が余りに衝撃的だったので書き残します。
BS世界のドキュメンタリー
「夫には7秒の記憶しかない~イギリス・元指揮者と妻の20年」
イギリス人の指揮者クリーブ・ウェアリングは1985年にヘルペス脳炎による高熱で脳に大きな障害を受け、7秒以上前の出来事を記憶することができなくなった。妻デボラの目を通して夫婦の壮絶な闘病の20年を見つめる。
イギリスで放映されたドキュメンタリーです。
おお、なんと言う因果(今聞いているのもイギリスバージョンだ)。
内容は、上記の通り。
元指揮者のクリーブ氏と、その妻の姿が淡々と描かれています。
脳の記憶を司る海馬組織が脳炎で冒され、7秒以上の記憶を保持できないクリーブ氏。
妻のことを妻とは認識していても、彼女とどのような経緯で結婚したのか、
むしろついさっきこの部屋に入ってきたのか、
もう何日もここにいてくれているのかすらもわからない。
7秒経てば、7秒前に話した事を、会った人のことを忘れてしまう脳になってしまった氏。
彼は、つい数分前まで共に喋っていた妹が去ったとたん、
彼女とは長いこと会っていないと言い、
会う人会う人ごとに、「私が病気になって以来、あなたは私が会う初めての人だ」と語る。
机の上に置かれた、開かれたノートには、同じ語句が書き付けられる。
○月○日○時○分「今、目が覚めた」
○月○日○時△分「今、本当に目が覚めた」
○月○日○時□分「今、本当に本当に目が覚めたんだ。前のは間違えだ!」
・・・・
このような日々を、氏は20年続けているのでした。
そして、妻も。
氏は取材者から何度もかけられる「今、どのようなお気分ですか?」という質問に、
何度も同じ答えを返します。もちろん、初めて聞いた質問であると氏は認識して。
「気分も何もないよ。私には過去も未来もないのだし。何をしても、何を考えても、忘れてしまう。ならばそれは死と同じだよ。死の中にある人間は、何もできないだろう。何も考えることもないだろう。なにも変わらないだろう。私は死んでいるも同じなのだよ」
20年間、この世にありながら、
死の中にいる氏の世界というものは、いったいどのような世界なのでしょうか。
この世の中は、全てエントロピーの蓄積という方法で進んでいるはずだというのに、
氏は一人、忘却という方法で、止まっているのです。
7秒で死に、7秒で生まれる。その度に毎回世界と出会わなくてはならないんです。
全く、想像を絶する状況だと思わずにはいられませんでした。
そして、それに付き添い続ける妻。
彼女は一度、氏から離れたにもかかわらず、
また彼の元に戻り、献身的な介護をしています。
彼女があるとき、
「私達は、いつ、どこで、なにをしなくてはならない、といったような世界から
最も遠いところに生きているわ」
と、ぽつりともらした姿が、非常に印象的でした。
生き続ける「死」とう存在のクリーブ氏。
氏を知ることによって、
人間はいかに多くの時間の積み重ねによって
「生きる」というものを体感しているのかということを感じずにはいられませんでした。
「記憶」こそが、個人が自らのアイデンティティを特定するためのものなのかもしれない。
ぼんやりと、そのように感じたのでした。
生きているということは、本当に稀有なことなんですね。
さて、
ドキュメンタリーという番組は、
非常に作るのが難しいものなのではないかと、何となく感じています。
事実を「編集」した一つの完結した「作品」であるために、
作り手の方針によって、受け手がどのように感じるかをいかようにも操作することができる(注)。
だからこそ、受け手は受けた情報をただ鵜呑みにするのではなく、
事実と、発信者の意図をふるいにかけてそれぞれ理解し、
自分自身の意見と比較検討する必要があると思います。
今日見たこの番組は、
非常にその点で「丁寧に作られている」といったとても良い印象でした。
インタビューの場面などでは、
よくNGをカットしたり、質問者の言葉を排したりすることがあります。
しかし、この番組は、一度質問の回答を拒否した妻が、
考えを改めて、質問回答をしようとした「間」もカットせずに残してありました。
例えば、これが氏であれば、もはや質問を受けたことすら、
拒否したことすらも忘れることができた間だったことでしょう。
しかし、妻にとっての間は、やはり質問に答えようと考え直して戻ってくるための間だった。
時間の保持の仕方、記憶の保持の仕方の違いが象徴的に現れている表現として、
非常に細かく、また、丁寧な編集作業であると感じました。
(注)これは、佐世保事件後に寄せられた、ジャーナリスト・坂上香さんの報道に関する意見から学びました。しかし、他にも多くの識者から同様の指摘はされていると思います。法学セミナー587号
流し見していたせいもあるのですが、難しいことはあまり考えれはしません。
しかし、この番組は、「生きるということは一体自分にとってどういうことなのか?」ということを
思わず考えてしまう力がありました。
もし、あなたが7秒しか記憶を保持できないとしたら。
もし、あなたの愛する人が何度も何度も記憶をなくす障害を負ってしまったら、
どうしますか?
それについて、どのように考えますか?
一体、「生きる」とはなんでしょう?
「愛する」とは何でしょう?
シンプルなことなんだけど、非常に深いことだと思います。
最後は、氏のピアノを弾く姿で番組は終わりました。
楽譜は目で「今」を追ってゆけばいいものです。
音楽は常に「流れる」もので、「時」ともしかしたら同義語の存在なのかもしれません。
「今」しか生きれない氏は、朝も昼もない「今」に、
一体いつまで留まらなくてはならないのでしょうか?
暗闇から開放される日が、いつかくるのでしょうか?
なんとなく、悲しく、暗澹とした気持ちになったのでした。
by chihiro_1984_20xx
| 2006-04-17 04:48
| 映像(映画、TV番組)