人気ブログランキング | 話題のタグを見る



by chihiro_1984_20xx

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

ライフログ


決定版 ほんとうにわかる管理会計&戦略会計 [PR]

カテゴリ

全体
映像(映画、TV番組)
芸術(舞台・絵画など)
読書
音楽
旅(散歩含む)
詩・言葉
バトン
真面目なこと(勉強、刑事関連)
真面目なこと(その他)
悟ったこと(気持ち・覚悟)
今日のできごと
就職活動
ごはん
ウエディング
写真と徒然

以前の記事

2010年 01月
2009年 06月
2009年 05月
more...

ブログパーツ

コンテンツ&リンク

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

よくわからない。~兵庫県尼崎市、JR福知山線脱線事故。

兵庫県尼崎市、JR福知山線脱線事故。

死者は107名にまで増えた。
毎日のように新聞やテレビが関連ニュースを流す。

JR西日本の対応うんぬん、
公共交通機関でのダイヤがどうとか、競合がどうとかうんぬん、
運転士の教育うんぬん、
運転士自身の資質うんぬん、
事故の原因うんぬん、

色々なことが報道される。

その中でやはり大衆の目を引くのは、被害者の報道。
人の生死にかかわる部分は誰しも直面するからだろうか。
毎日のように、誰彼はこういう経緯で列車に乗っただの、
誰彼はこういう家族状況で。。。だの報道される。
今日の朝日新聞では、検証列車事故の一環として、
死亡者107名の出せる限りの名前と顔写真と簡単な背景を特集した。
見出しは「奪われた夢、希望」

最初は、ただ、悲しかった。
同じ年頃のもしかしたら友人になりえたかもしれない若者が、
こんな恐ろしい一瞬に出会ってしまい、命を落としたことに。

でも、日が経つにつれ、様々にあふれる情報を目にして、何もかもがわからなくなってきた。

「奪われた夢、希望」って、
一体じゃあ、誰に、何に、奪われたの?
JR西日本?
会社の内情?
運転士?
競争社会?
乗り合わせた電車がたまたま事故列車だった自分の不運?
運命?

わからない。
新聞は答えを運んでくるわけではない。
むしろ、答えを運んでくるメディアというものは「嘘」なんだって、
この事故で反語的に気がついた。

しかし同時に、報道を発信する側があまりにもポイントが見えていないからか、
何もかも、情報を玉石混交で発信してくる。
微細なことでも捕まえて記事にしようとする。
そのことも、わからない。
その、知ろうとだけする意思が、
メディアのこの事故の取り上げ方から感じられて、気持ち悪くなった。

事実を完全に知ることは難しい。
できる限り事実は知らなくてはならない。
そうした上で、自分なりの判断を下さなきゃいけない。
そのために、新聞やテレビの報道は存在する。
しかし、本当に「必要な」情報を流しているのだろうか?
流しすぎではないのか?
情報を集めすぎではないのか?

この事故で、私はなにもかもに不信感を抱き始めた。
この事故に関する報道から、
マスコミ関係者の純粋で貪欲で残酷な報道への気持ちが感じられて
気持ち悪くて見ていられなくなった。
社会に対しても不信感を抱くようになった。
歯車が増えていく社会。
歯車が回る。回りきれなくなって壊れる、壊れないように無理をして回ろうとする。
歯車の故障の被害者は人間だ。
歯車が間違った方向に動いていくのを、ただ手をこまねいて黙認しているだけの社会に、
不信感を抱いている。

事故に遭われた方、なくなった方、本当に、悲しいです。
ご愁傷様でしたなんていえない。
一人の人が失われるということの大きさを考えると、胸が詰まる。
今までいた所に、いない。
「空白」。
一人の人が与えてきた影響力、ありがたみを、失ってからようやく気付くということの悲しさ。
その悲しみを多くの人が背負っていかなくてはならない。

それを、むやみに報道していいのだろうか?
社会の実態として、残酷に報道することが大事なことなのだろうか。
原因追求は大事だけれども、過程の段階でむやみやたらと知りえた情報を流しても、
それはマスコミの使命と割り切って認めてしまっていいのだろうか?
マスコミから与えられる情報が余りにも煩すぎて、脳みそが麻痺しかけています。

社会というものと、人の命というもの、関わってくる人々、
余りにこの事故は多くの問題を生み出しすぎた。浮き彫りにしすぎた。
問題を報道する側に、うんざりしてきた。
2ch、マスコミ、会社、社会、
人間の無責任に、純粋に残酷に放出される気持ちに、吐き気がする。
厭世観すら湧き上がる。


無責任なことはいえない。

でも、あえて私はいいたい。
社会に出て行こうとする大学4年生のこの時期。
有名企業じゃなくても、就職することは、社会にかかわることだけれど。
その中でも特に社会にがっつり関わっていく人たちは私の周りにもたくさんいる。
有名企業に行く優秀な人たちがたくさんいる。
マスコミ、社会を動かして行こうとする企業、様々だ。

希望に溢れているかもしれない。
前だけを見ていけば、目的に向かった道が見えていることだろう。
でも、大きい会社というものは仕事の中でそれだけ社会に対する影響力が大きい。
多くの人が影響を与えられる。
社会での自分の采配一つで他人の人生すらも、容易に変えることができる。
自分自身の価値観一つが、
そのうち他者に大きな影響をあたえてしまうようになってしまう。
それを忘れてはいけない。

だからこそ、社会に出て行こうとする私達は、
社会人と一個人の狭間にいる私達は、
一個人の価値観を忘れてはならない、もっと深めていき続けなくてはならない、
育て続けなくてはならないのではないだろうか。

社会からは人の心が見えない。
社会自体がそういうものなのだから仕方がない、と割り切るのは
私は余りに悲しすぎることだと思う。

この事故では、いつもふとした瞬間に断片的に様々なことを考える。
だから一つの気持ちが出てこない。
言葉にすべてをうまく表せない。


わからない。
by chihiro_1984_20xx | 2005-05-01 18:12 | 真面目なこと(その他)