のらりくらりと結婚準備ブログ&食いしん坊な日常。


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カテゴリ:悟ったこと(気持ち・覚悟)( 74 )

論文に思う。

昨日。

久々に空を見上げたことに気がついた。


今日、

遠くの空に小さく雲をつくる陰を認めて、
なにかがカチリと音を立てはまり込んだ。

私は飛行機なんか飛ばせない。
この世界の全てなんか作れない。

できないことがいっぱいある。
できないことしかない。

私はとてもちっぽけな人間だ。

でも、今書いている論文の、そのアイデアの部分だけは、
唯一、私が自分の力でできたことだ。

だから、できた部分だけを、自分で自分を認めてあげなきゃいけない。

他の人にはできないんだから。



論証不足、基本的知識が足りないこと、仕方なくないけど、精一杯やったんだから、仕方ないこと。

指摘されたら、謝りなさい。指摘されたら、直しなさい。

大丈夫、できている部分に自信を持ちなさい。
負けるな、負けるな。


論文に手を入れれるのもあと二日。もう新しいことはできないけれど、せめて誠実に。

絶望せず、希望をもちすぎず。ただ、善処を尽くすのみ。
頑張れ、頑張れ。
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by chihiro_1984_20xx | 2009-01-28 10:31 | 悟ったこと(気持ち・覚悟)

志望理由書での出会い。

ここ数週間、学部ゼミの後輩に頼まれ、
彼女の妹さんのAO入試の志望理由書を添削していました。

その後輩は、学会の時に一緒に受付だった子。
受付の合間に、私がAOで大学に入ったことや、母の教え子の志望理由書の添削を毎年しているということを話していたのを覚えていたようで、今回、お話がありました。
私も彼女には学会中も学会後も、色々とお世話になっており、何か恩返しをしたかったので、
私だけでなく、第三者の添削も平行して行う、という条件付きで(私は素人なので)、
快く引き受けさせて貰いました。


そんなこんなで、気軽に引き受けた添削。
今回の志望理由書の添削は、私にとっても、自分の人生について色々な事を考えさせてくれるものでした。


まず感じたのは、人との「縁」。
よくわからないけれど、私の周りにはたくさんの出会いが恵まれているようです。

一番最初に送ってくれた志望理由書。私の目に飛び込んできたのは、
「私の将来の目標は家庭裁判所調査官になることだ。」の一文でした。

「自分自身が、人との出会いによって変わったように、少年たちも、人との出会いで変わることができると思う。その手助けがしたい。」

どきっとしました。
まるで自分自身が高校生に戻って、志望理由書を書き直してるんじゃないか、と思うぐらい、
志望理由書の内容は、昔の私が考えていたことが純粋に書かれていました。

あぁ、これは「縁」なんだなぁ、と、直感で感じました。
M2になり、一つの志を持って入った大学での生活が終わりに向かっている私に、
来年から、私と同じ志をもって入学したいと目指す子が出会う。
この出会いは、お互いにとって考えるチャンスを神様が与えてくれたのかも知れないって感じたのでした。


次に感じたのは、自分自身が「法学部で学ぶことの意味」。
彼女が志望理由書を書く中で、一番かつ唯一、引き出していくのに苦労した部分でした。

送ってくれた志望理由書は、コメントで添削を入れて、
最後の頁には、私も調査官を目指してAOを受験したことなんて個人的なことや、
志望理由書に書かなくてはならないことや、考えておくべき事といったアドバイスを書いて返信していました。
2日と立たず、彼女は書き直しを送ってくれました。
そうして、同じようなやりとりが数度、続きました。

毎回、私のつたないアドバイスをきちんと理解してくれて、
彼女の志望理由書は格段に良くなっていきました。
それでも、あと少し、何かが足りない。
志望理由書としては、8,9割、完成している。
なのに、大学のアドミッションポリシーに書いてある、求める学生像を何度読んでも、
何かが足りない気がする、という感覚が払拭できず、とうとう母に相談してみました。

彼女の志望理由書を一読した母は、一言、
「良く書けているけれど、「社会性」がないよね。
「法学部の人間」としての芽を感じさせるような事を書かなきゃね」と、
アドバイスをくれたのです。

「法学部の人間」としての社会性。
なるほど、と思いました。
まだまだ、彼女は「裁判官になる(書き直しの過程で、目標が裁判官に変化)」から、
そういう授業を受けたい、というだけに過ぎない志望理由書だったのです。

法律を覚えたいだけなら、受験予備校に行けばいい。
「法学部」で学問を修めることの意味は、もう一歩進んで、法律を学び、制度を学び、
それを「変える側」の人間として、どのように変えていくべきかを考えるためにある。
それが、法学部の人間として社会にコミットしていくための方法なんだと気がつきました。

大学で何をするか、彼女にはそれが欠けていた。
すぐさまアドバイスを送り、あとちょっと!と書き直しを求めました。

2日後、書き直しが届きました。そして、良かったら電話したいとのこと。
既に東京にいたので、彼氏さんに断って、初めて直接おしゃべりをしました。
(お互いにドキドキしあっていたみたいで、聞いていた彼氏さんに「何度「はじめまして」っていうつもりなん(笑)」なんて突っ込まれるぐらい、お互いに挨拶を繰り返してました(笑))

初めて聞いた声は、上がってたみたいだけど、とても明るくて、礼儀正しくて、
そして、しゃべると更につたない私のアドバイスを、きちんと理解してくれる賢さがあって、
あぁ、この子なら2次まで進めれば大丈夫だな、って確信しました。

「大学で、何を考えていきたい?それが裁判官になったときの思考のベースになるんじゃない?それが、大学で学ぶことの意味じゃない?」と伝えると、
「なるほど!気がつきませんでした!」と、すぐさま理解してくれました。
電話では、今まで文章の上では添削しきれなかった構成の部分などの変更を伝え、
最後の書き直しをすることになりました。

そして一昨日。
最後の書き直しをほんの少しだけ添削して、電話で説明して、
志望理由書がとうとう完成しました。


AOの志望理由書。
人によって書き方は様々であろうけれど、
「何になりたいか」は、ゴールにしか過ぎず、「大学で何を学ぶか」も、重要なのだと思います。そして、それをとことん考えた上で入学するからこそ、大学生活が目的意識を持ったものになるのだと思います。

彼女の志望理由書を読むにあたって、自分の志望理由書を引っ張り出して読んでみました。

「少年犯罪に拘わらず、現代社会において多くの前例のない犯罪が起こっている。21世紀、これからますます過去に起こりえなかった犯罪が起こるだろうと考えられる。
そのような場合に現行の法律では適応しきれない状況も起こり得る可能性がある。
これらの点を踏まえた上で、加害者、被害者、どちらにも、どのような社会的、法的措置を取るべきなのか、大学在学中に研究し、提言していきたい。」

私は、ゴールは変わってしまったけれど、
「何を学ぶか」は変わっていなかったことに気がついたのです。
自分自身が研究していることは、まさに、21世紀に入ってから起こり始めた問題であり、
論文を書くと言うことは、それがどれだけ小さな力であっても、社会に何かを提言するものだと。

彼女と出会ったこと。
もちろんそれは、第一義に、彼女が合格するための手助けをするためのものです。
ですが、私にとっては、「縁」を感じるものであり、
「自分自身が今すべきことは何か」「何故、したいのか」ということに対しての思いを新たにするための、大切なきっかけのように思います。

私の大学生活は、7年の間にゴールは変わったけれど、決して無駄な7年間ではなかった。
後に続く、自分と同じ志を持った若い子に対して、
私がするよりももっと良い未来を作るための手助けができたのなら、何もゼロじゃない。
バトンタッチと言うのが適当かはわかりませんが、自分自身の未来も続いたように思えて、
本当に嬉しかったのでした。
なんだかちょっと、母親のような気分に近いのかも知れません。

そうは言っても、あとは筆記とグループディスカッションで彼女自身が頑張るのみ。
無事合格してくれたらいいな、と願ってます。
それが一番の私のご褒美になるなぁ。本当に。

ほんの些細な数週間の出来事。だけど、忘れられない、不思議な出会いでした。
ありがとう。
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by chihiro_1984_20xx | 2008-09-26 13:26 | 悟ったこと(気持ち・覚悟)

こども→おとな?

大人になるにつれて、色々なことを悩まなくなってきた。

細かい色々なことに足を取られてきた私だけれど、
だからこそ、一つずつに理屈をつけることができるようになってる。
そうして今に至ることができているのは、
悩まずに今に至るよりよっぽど良かったのだと思う。


だけど、悩んでいた自分を失うのは怖い。


答えを手にしたような気になっている自分。
自分自身を客観的に見たときに、
自分は、過去に私が「なりたくないと願っていた汚い大人たち」になってやしないか、と気がついた。

我が物顔で、苦しみがあったことも悩みがあったことも忘れ、
悩んでいる人たちを平然と見下す。
悩むような子供たちは、大人が管理してやらなくてはと平然と思う。
人は人の数だけの成長過程を踏むのに、
大人は自分の尺度で子供の悩みのレールを規定しようとする。
「そういうものなのだから、悩まずに○○しなさい」と、悩みを片付けようとする。

「そういう大人」になってやしないか、私は?


大人になった、ということは、子供時代から地続きの結果だ。
決して、最初から大人だったわけではない。
自分の中に、まだまだ沢山の「子供」を抱えていて、
それでも見てくれや大枠が大人になったに過ぎないだけなのだ。
それを忘れてはならないと思ったのだ。


子供が生まれてくることは、ある面で素晴らしいことだと思う。
私の見ることができない未来を創り、見てくれる。未来を繋いでくれる宝だと思うからだ。
「可能性」という存在だと思う。

だけど、子供は生まれてくる場所を選ぶことができない。
死ぬ時を選べないのと同じように。
そして、生も死も、人の数だけ様々な課程が存在する。

なのに、元・子供が傲慢に現・子供の人生を力尽くでねじ負けて、可能性の芽を摘み取るようなことをしてはならないと思った。

少なくとも、そうなってしまわないように。
あの時の自分も忘れちゃならず、
心の中の「子供の自分」も素直に生き続けさせてあげなきゃならないと、そう思った。


まとまってないけど。なんかね、最近ふと思ったことなのでした。
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by chihiro_1984_20xx | 2008-07-23 22:53 | 悟ったこと(気持ち・覚悟)

魂を吐く

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昨日、我が家の犬が天国に旅立ちました。

色々な疾患が重なっての1年間の闘病の末の死でした。
4キロ近くあった体重は半分になり、
毛もほとんど抜けてなくなり、最後の一ヶ月は寝たきりでした。

就活を終えた私は毎日家に籠もり、ほぼ付きっきりでした。



これまで、3人の人間を見送ったけれど、
死の瞬間に立ち会ったのは初めてのことでした。

お昼。午後1時ちょっとまえ。
水をよく飲んだから、食欲が出たのかな、と、
食事代わりにあげていた粉ミルクを作りに立ち、
彼の元に戻ってきたとき。
いつもとは違う息をしていました。

明らかに、いつもの酸素を求めるような息ではない、
深くて規則的な呼吸。

虫の知らせなのか、動物の直感なのか。

私は無我夢中で彼を抱き上げて、何度も何度も名前を呼びました。

「みるく、みるく!」

彼は、目も開けたまま、同じようないくつかの息を吐き、
何も言わなくなりました。
私の手の中で。

それでも体は温かくって、状況なんてつかめなかった私は、
何度も何度も名前を呼んで、人工呼吸をして、胸を揺すって、
水をあげて、呼びかけて、呼びかけて。

出て行ってしまった魂は、手から離れた風船みたいに、
もう、掴んで引き戻すことはできませんでした。

母と連絡がつくまでの40分間。
母が帰ってくるまでの1時間。

あんなに長く、目の前が真っ暗になった時間はありませんでした。

どうすることもできなくて、でも、何かできると信じたくて。
目の前の彼はまだ温かくて、死んだとは信じれなくて。

私一人では現実を理解できず、
死後の弛緩した体から出てきた便や尿をいつもの排泄だと思い込み、
いつものように片付けて、体を拭き、
母が帰ってくるまでずっと、彼の名前を呼んで、
段々冷たくなってきた体を、ずっと抱きしめていました。

「みるく、みるく、お母さん帰ってくるよ。
それまで頑張って。もう一度だけでいいから、頑張って」

涙でぐちゃぐちゃになって、訳がわかんなくなって。
それでも体を揺さぶり続けていました。
最後は絶叫に近かった気がします。

電話口で声を詰まらせた私に異変を察した母は大急ぎで帰ってきて、
すっかり穏やかになった彼に、一言、
「がんばったね」と言いました。
その一言にようやく、あぁ、死んだんだ。と悟り、
私自身の体から力が抜けていくのを感じました。

魂を吐く瞬間があるんだね。
理解できたのに。
どうすることもできない瞬間でした。


2万5千円で、死んでから3時間で、
彼は骨になり、骨壺に入り、家に帰ってきました。
今朝も何事もなく地球は回り続けています。


よくわかんないけど、すごいな、って思います。


みるくは、私の中学受験合格祝いでうちにやってきた犬でした。
ちいさくて、弱々しかったマルチーズでした。

買った日に、彼の小さな体を抱いて車に乗って家に帰ったことを、
亡骸を抱えて火葬場に向かうタクシーの中で思い出しました。

あの時と同じ大きさで、私が抱いて家に連れ帰り、
12年を過ごし、
今度は、私が抱えて、見送りにいきました。


私と同じ干支、同じ誕生日でした。
買った後に来た血統書で知ったから、とっても嬉しかったな。
運命と呼ぶにはあまりにも出来過ぎていて、
でも、「特別」と思えるだけの喜びがそこにあった。

12年間。
24歳の私の人生のちょうど半分、
私は彼と一緒に人生を歩んでくれたのでした。



今、私が言えるのは、
たくさんのごめんなさい。
たくさん、甘えてたことに気がついた。
家を留守にして寂しい思いをさせて、
時には疎ましくも思ったこともあった。
もっと、手厚く看病もできたかもしれない。

ペットだから、我慢させるのは当たり前。
絆は、「絆す」ものでもあるから、
疎ましく思うこともあるのは当たり前。
だけど、やっぱり、ごめんなさい。ごめんね。


そして、たった一つのありがとう。
私の隣にいてくれて、ありがとう。


頑張ったね。




***



そして、この1年間。母の愛情の深さを思い知りました。

一日中、高校で授業をして、
帰ったら家事をして、夜はほぼ寝ずに犬の看病。
毎月かかる犬の高い病院代を出し、
私が就活の間は、私の支えにもなってくれた。
母は一瞬たりとも休まずに、
一言も文句を言わず、
精神的にも、実質的にも、誰かの助けになっていました。


そして昨日、家に帰ってきて、
みるくに最初に書けた言葉は、
「一年間、よく頑張ったね」だったのです。

自分の悲しみよりも、自分の一年間の看病に対する思いよりも、
みるくが感じていた1年間の苦しみに対するねぎらい。


どこまでこの人は、人を愛することができる人なんだろう。


強く思い知りました。
本当に、母親の愛情のすごさを感じました。
同時に、自分自身の未熟さも。


私も、母のように愛せる人になりたい。
でも、こんな風になれるんだろうか。
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by chihiro_1984_20xx | 2008-05-28 11:26 | 悟ったこと(気持ち・覚悟)

守る。

大人になっていくにつれて、理不尽なことが多くなっていく。

嫌だ嫌だなんて言ったって、辞めるわけにはいかない。
人生の階段から下りるわけにはいかない。
うまく対処していかなきゃならない。

そうはいっても、納得のいかないようなことは起こる。
自分一人では受け止めきれないようなことだってある。


いつものように帰ってきたけど、
いつものように私に向き合った瞬間に、
いつもの顔じゃなくなった。


首元に掛かったイヤフォンから音楽が流れたままになっていた。
いつもは長い距離でないと音楽なんて聴かない人のはずなのに、
たった10分の電車移動にも音楽を必要としていたほど、
きっと、ぐらぐらしていたんだろうと思う。
鉛のような心を抱えて、
それでも部屋に帰ってくるまでは誰にも悟らせまいと毅然としていたんだ。
そう思うと、胸が締め付けられるような思いがした。


理不尽なこと。それは私の力ではどうすることもできないこと。
私は、ただひたすら抱きしめて話を聞くことしかできなかった。
なんて無力なんだろう。
悔しかった。


いつもより多く飲んだアルコールと心が左右に大きく振れた疲れから、
ようやく眠った顔を見て、私はまた一つ、心を決めた。


この人にこんな顔をさせたくない。
そのために、
この人の感じなくちゃならない理不尽の数を私が減らせるようになる。
超えられないような理不尽が目の前に立ちはだかったときに、
別の道を選び取れるだけの準備をする。
外に出せないような、でも消化できない思いは私が預かる。
切り替えて、次の日を迎えさせてあげる。


守りたいって思った。守らなきゃって思った。


5月9日。忘れちゃならない日。覚悟を決めた日。
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by chihiro_1984_20xx | 2008-05-11 23:48 | 悟ったこと(気持ち・覚悟)

蝶々の挑戦状。

SalyuのCDのクレジットを見て驚く。
一青窈作詞、小林武史作曲…なのか。そうなのか。
そういうことなのか。知らんやったー。


*******


学校行っている時、履いてた細いヒールのパンプスのせいで何度かふらふらして、
纏足みたい、と思った。そして、「蝶々の纏足」、とふと浮かんできた。
普段からふらふらしてるんだけど、なぜか今日に限って。

そういえば、高校の頃に、「てふ(蝶の古語)」と呼ばれた時期があった。
今も、「アゲハチョウ」のようだと言われる時がある。
突拍子のないように見えるが、私にとっては「蝶々」と「纏足」が浮かんで、
リンクすることは自然の成り行きだったのだろう。


纏足って言うのは、簡単に言えば足を小さくすること。
女の子の足が小さいうちに、きつく押さえつけておいたり、
成長した足を砕いたりする。
そうして、足を小さいままにしておく。

纏足をするのは、小さな足でよたよたと歩く女の姿が、男の人には性的に映るから。
性的な意味で使うこともあったという。
更に、歩けないということは、女は逃げ出すことができないということだ。
歴史的、本来的な纏足は、そんな男性社会の一方的な欲望から生み出されたもの。


「蝶々の纏足」、という山田詠美の話がある。
思春期の女の子たち(蝶々)の、共依存とも言うべき関係(纏足)と、
それに男を知って、第三の空間を作り出していく方法を学ぶことで
抗おうとする少女の飛翔の物語。

どのような話か殆ど覚えてはいないし、
今回話したいことには直接関係しないからいいのだけれど、
少女を蝶々に例え、関係性に束縛されている姿を纏足とし、
男を知るという性的な行為を使って物語を紡いでいく方法をとっているということが、
アイロニカルなものを感じさせて、とてもすごいと思っている。
山田詠美の纏足は、女が主役だ。


女は、いかに生きていくべきか?
そんなことを考えていたら、突然沸き起こってきた。


纏足された女は、蝶々のように歩く。
蝶々が、地に足を着けるなんてことはない。
女達も、夢の中を飛び続けることを強いられる。
地に着くときは、死ぬ時だけだ。

与えられた世界の中で、女も蝶も飛ばなきゃならない。
たとえ、実社会での参画が広がろうとも、
女が生きていける世界が広がったに過ぎない。
その世界で、女として蝶として生きて生きたいのならば、
女は、蝶は、飛びつづける必要がある。


なら、どう飛ぶ?

男の性の慰み者として、飛ばされる?

それとも、花から花へと、自らが安寧を得られる場所を自分で選ぶ?


女も蝶も、脆そうに見えて強い。強いけど、脆い。
何を守って、何を捨てて、何を諦めて。
力に屈しても、心は屈しない強さでもって、
生きていくならば飛び続ける方法を自分で選ばなきゃいけない。


どう飛ぶかは、貴女の心次第なんだ。自分の心次第なんだと私は思った。


私は、選ぶよ。

生き抜くために。
自分の人生のために。
ひらひらと羽は動かし続けて、いつでも飛べるようにしてるから。


追記。

ちなみにハイヒールは、下水道整備が及んでいなかった中世欧州において、
糞尿を街頭に捨てることが当然だった時代に編み出された代物だそうな。
香水も。
それが現在ではすっかりファッションになりえちゃっているのだから、
なかなか文化ってわかりませんねー。
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by chihiro_1984_20xx | 2007-12-14 14:07 | 悟ったこと(気持ち・覚悟)

07/6/25

どれだけ自分が「今」感じた気持ちを覚えていて、人に出会ったときに再生できるか。
人の間にいる人の価値はそれで決まる。
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by chihiro_1984_20xx | 2007-06-25 01:29 | 悟ったこと(気持ち・覚悟)

13th death anniversary

親友の死から早いもので、もう、13年です。

毎年この時期の前後は、
年間を通して最も気が塞ぐ時期で、

この日を忘れていた年は、
この体調の悪さで命日を思い出し、

この日を覚えている年は、
体調の悪さに取り憑かれてることを自覚しながら
日々をやり過ごしています。

今年は後者だったようです。

いろいろな体調の不良も重なって、
前回も日記で言ったように、
連日、悪夢と貧血で目が覚めて早朝に一人号泣したりと、
例年以上にストレスがかかっていたようです。


私は未だに、
彼女が死んだ病名をハッキリしっているわけでもないし、
お墓にも行っていません。
彼女の家にも、もう久しく行っていません。


二年生の二学期に転校してきた彼女に、お調子者の私は、
休み時間が始まると一番に話しかけたのでした。
それから、一番の友達になって。

いつも席は隣同士、
学校から帰ってもお互いの家に遊びに行く、
習い事にも一緒に行く。
かなりの時間を一緒にすごしていたように思います。

背格好も似ていたから、
後姿では、ほかの人はどっちがどっちかわからなかった、
なんてこともありました。

そうして、喧嘩したり、はしゃいだりしながらも、
平和に過ごした4年の夏。
8月28日のあの日に、別れは訪れていたのでした。

彼女と私はスイミングスクールに行く約束をしていました。
いつものように彼女の家に行って、
すこし遊んでから、プールに行く予定にしていた私たち。

いつも本当に我侭なんて言わなかった彼女から、
「頭が痛いからプールにいきたくない」
って言葉が出てきたのでした。

熱を測ったら、6度8分か7分ぐらいで、平熱。
このまま一人で行きたくないと思った私は、
その子のお母さんの「駄々こねずに行きなさい」って言葉を
そのまま鵜呑みにして、彼女をプールに促してしまった。

夕方、互いの家に向かう分かれ道のところで、
「バイバイ、次は学校でね」
と手を振り合い、別れたのが、彼女との最期でした。


その晩、彼女は倒れ、救急車で病院に運ばれ、
手術を行ったものの秋まで昏睡状態が続き、
13年前の今日、この世を去ったのでした。

その後の記憶は、残念ながらもう私には余り残っていません。
ひどく曖昧で、断片的です。

先生からの電話を取ったのは私でした。
確か、いつも通りの日曜日の夜。夕食の前か後。
いつも通りにテレビを見ながら、
いつも通りにくつろいでいた先に、かかってきた電話でした。
いつも通りに出た私に、
おそらく、
児童が先に出てくるなんて思っていなかったのでしょう、
電話口で「Mちゃんが死んじゃった」と、
先生は泣き崩れたのでした。
その、悲痛な声は、今も耳にこびりついて離れません。

あとは、お葬式。
私は弔辞を読むことになっていました。
書き上げた弔辞を淡々と読み、
私は、すがりつくように泣いてお礼を言ってくれた
彼女のご両親に、
なんと 笑み を返し、席まで戻ったのでした。

そのときの私には、悲しいなんて、わかんなくって、
死ぬってことがなんなのかわからなかった。
曾祖母が一年生のときに亡くなっていたけれど、
それだって、ただ「儀式」を経験したに過ぎなかった。

でも、その中で、ただひとつだけ思っていたのは、
「一番の友だちだった私」以外に、
「最期に彼女にしてあげられること」を
獲られるのだけは嫌だってことだった。

先生の指名で弔辞を読むことになり、
作文を書き、
恙無く読んだ。

それだけで、私は「いっぱい」だったんです。
そして、私は最期の仕事を終え、「笑った」。

それでも私は、
多くの人と「死」に対して、罪を犯したと思います。


喪失と罪悪感からくる苦しみは、あとからやってきました。
大きな円形脱毛症になって、精神安定剤を処方され、
小学校高学年には、早々に思春期到来して、
友達関係を作る方法がまったくわかんなくなって、
いつのまにか、四面楚歌。
とりあえず、
このままこのメンバーで公立中学校に上がってやるもんか
という気持ちひとつで、私立中学校を受験したのでした。

小学生だったからか、思春期を越えていないからか。
それはわからないけれど、
死の概念を身をもって知ることができなかった私にとっては、
悲しみや、喪失感は直接は、言語化されることなく、
しかも自覚もされずに、
行動や、体にストレスとなって現れてきていたようです。

ストレスを押し込めながら、走り続けること13年。
何度も、「死にたい」なんて思うこともありながら、
いつも、彼女の存在と、
そのときに周囲にいてくれる人たちの暖かさに救われて
ここまできたのでした。


「あの時感じたであろう」悲しみや喪失感なんてものは、
未来に向かって消えるなんてことはありません。

思い出せば、
そのときの感覚はまざまざと傷跡となって流れ出てくる。
心の傷っていうのは、そういうものなのだと思います。


13年経って、
もう悲しみに支配される日はそう多くはなくなりました。
こんな悲しい別れで終わるとわかっていても、
彼女と出会えたことを大事にしたい。
そう思えるぐらいに今はなりました。
たとえ二度と会えなくても、
この13年間に彼女からもらったものだって、
計り知れないほど多いと思うから。

私は、今周りにいる人たちを大切にしなきゃならないし、
感謝して、彼女の分まで生きて、何が何でも生きて、
そうして死んで、彼女にあいたい。

まとまってないけれど、
今年は、二週目の年を迎えて、
気持ち新たに、彼女と向き合っていこうと思ったので、
書いてみました。
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by chihiro_1984_20xx | 2006-10-24 16:48 | 悟ったこと(気持ち・覚悟)

ありがとうございました。

刑事政策を終え、面接を終え、
ようやく家に帰ってきました。
院試が終わりました。

就職内定を蹴って、更生の道にやっぱり進みたいって思った秋。それでも、はっきりと将来が考えられなくて、先生に院に来たら?って言われたことがきっかけで始めた勉強。

長かったような、短かったような、そんな日々でした。

結果はどうであれ、それでもまず、私は言いたい。
みなさま、本当にありがとうございました。
皆さんの支えがなかったら、私は今、こうしてここにはいれない。
今回も、まずそう思いました。

面接の前、待っている間、
志望動機を考えながら、ふと思った。
したいこと、アイデンティティ、ここにいる理由、今後のこと。
でも、それにチャレンジできるのって、私の力じゃなくって、ほかの多くの人の支えなんじゃないか?って。
私は、
「生きてる」んじゃなくって、
「生かされてる」んだって、
強く感じました。


私にとって、それはとても大きな発見でした。


生かされているのなら、
この人生は、自分のためだけに使うのではなくって、
誰かを生かすために使いたい。
そう、思ったのでした。


主体的であれとする、この世の中だけれど、
私一人は、周りに生かされる私であってもいいじゃないか、と、
自分で自分を愛せる理由が見つかったような気がしたんです。


そう思えたのも、この院試の経験のお陰だと思っています。
そして、院試に至るまでに、支えてくれた、友人、家族、先生、先輩、私を取り巻く多くの人たちのお陰だと思っています。
ご飯を共にしながら愚痴をきいてくれたり、
がんばっている姿を見せてくれた、
たくさんの友達、先輩、
何も言わずに、私の生活を支えてくれた両親、
面接前日に相談に乗ってくれて、励ましてくれた先輩、
応援してくださった先生方、
本当に、感謝してもしきれません。

一人じゃ、面接まで受けれなかったよ。


本当に、ありがとうございました。


独学での刑事訴訟法はやっぱりうまくいかなくって、
刑事政策も、論点をうまく書けたどうか、よくわかりません。
面接も、なんだか、幼稚な言葉を並べてしまって、
法学部生のかけらもないような返答を繰り返してしまった。

でも、これが、私なんですね。
今できることをした、そこまでだけど、
でも、それが今の私なんです。

院に入るまでの、能力が足りていなかったかもしれない。
けれど、今できることをやった。
それだけで、今はもう十分です。

そして同時に、今の自分が余りにも弱いことを感じました。
もっと強くならなきゃと思いました。

私は、したいことがある。
私は、どんなに人間として否定されても、
ただひとつだけ、もう失いたくないものがある。

それを守るためには、強くならなきゃいけないんだ。
だから、勉強しよう。本を読もう。強くなろう。
自分に責任を持とう。

今後は、論文とゼミと、そして、公務員試験頑張ります。
息着く暇はありません。夢の途中なんだもん。終わってない。


きっとまた、挫けそうになってうだらうだら言うでしょう。
でももしよかったら、そんな私を、
どうぞ、どうか、よろしくお願いします。


こんどうちひろ。
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by chihiro_1984_20xx | 2006-09-27 16:03 | 悟ったこと(気持ち・覚悟)

妄想を抱えて眠りにつこう

勘三郎さん、行って来ました!北九州まで。
ふぃー。
感想は、そのうちに。

勘三郎さんの入りの時に案内をさせて頂いたのだけれども、
勘三郎さんも小さい方でした。

萬斎さんも意外と小さい方だったし、
古典芸能の方は背が低い世界なのかもしれませんね。
遺伝的なものなのでしょうか?

さて。
NHKの「視点・論点」という番組が好きです。

色々な識者の方々が、
ご自分の専門分野について訥々と語る番組です。

今日は、中西進先生の「日本語の力」というお話でした。
簡潔に言うと
「日本語の、言葉を生み出す創造力のすばらしさ」について、
今回はお話くださったのですが、
その中で、とても素敵な内容を聞きました。


「死」の概念。

中国からやってきた死は、
物質的に死ぬことに他ならないものだったのに、
日本では、「死」という言葉がどんどんと派生していったそうです。

「萎びる(しなびる)」が生まれて、
その「萎びる」から、
「(心が)しなやか」や「(木などが)しなる」
などの言葉が生まれて、
日本の「死」の概念はどんどん広がっていったそうなのです。

あれやこれやと、言葉の発展について説明して、
あれやこれや、日本語の力について語っていたのですが、
先生は最後に、

「「しなる」ためには、木は一度枯れなくてはならない。
しなやかであるためには、一度「死」を経なくてはならないのです。ただし、完全なる死ではない死を。」

と、ぽつりと仰ったのでした。

その言葉が、非常に印象的で、
私の中でとても「しっくり」して、
素晴らしい出会いをしたなぁと思ったのでした。

そして先ほど、トイレで国語便覧の文学者年表を読みながら、
あまりに多い、文学者に自殺に、
『文学者の死も、彼らからしてみれば、
「しなる」ために必要に迫られてやったことだったのかなぁ』と、なんとなく、思ったのでした。

だとしたら、「あの世」かどこかで、彼らは生まれ変わって、またとてつもなくしなやかな作品を作っているのかもしれないのです。

今は、この考えに捉われっぱなしです。妄想。
ありえないことなのだけれども、おもしろいなぁと。

まとまりなくってすみません。
眠たいけれど、残したかったことをかいただけなのです…。

明日もがんばりましょう。
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by chihiro_1984_20xx | 2006-09-05 00:36 | 悟ったこと(気持ち・覚悟)